「笑っていいとも」がテレビから消え去った日
ぽっかり胸に穴が開くような寂しさと同居しながら、
私の心の中でつぶやきが起こる
「あぁ、ネットワークTVはまだ視聴率神話にしがみついてるんだなぁ
彼らは、まだ、楽をしてて撮影費が手に入ると思ってるわけか・・・」
ニールソンレイティング(視聴率)、
その率は、30秒スポット(CM)の枠の値段を決め
その額がネットワークTVの撮影費や社員の給料となり
視聴者はただで番組を見ることが出来た
それは長い間TVの仕組みで、
それが壊れることはないと思われてた
でも、それは揺らいだ
30秒スポットを飛ばして録画できるビデオが
世に出た時に・・・、もう7年以上になる
「 幾らフリーだからって押し付けられるのはいや」、
それが視聴者の本音だったんだろう
そして、
30秒スポットを注文してたクライアント(スポンサー)達は
見てくれてないのに、売上げが下がらないことから
はじめて、ニールソンレイティングの効果に疑問をもつ
多くの人に見て貰えば、
商品や会社を知ってもらえるので売上があがる
っていう視聴率神話が壊れた瞬間だ
それからしばらくは、クライアント達は
広告の質を模索したベンチャーを試してたんだけど
なんだかいつのまにか、 視聴率神話に戻ってる
視聴率という名ではなく、
ユニークアクセス数、ユニークダウンロード数
いいね!や+を押した数、キーワード検索がかかった数って名を変えても・・・
やっぱり数の神話だ
数字の多さ=好ましい効果になってると いう幻想だ
人は何故、その幻想に戻るんだろう
何故、幻想を検討もせずにビジネス上の信用を託すんだろう
大学受験の赤本を解いて答えを見て解けた気になって
どんぶり勘定で点数の数字を出すような
そんな風に、数字に酔った状態で何故いたいんだろう
私の答えは・・・「夢を見ていたいから」だと思う
人々は現実を見ることが、夢を壊すと誤解してる
楽ができなくなるだけで、夢は壊れることはないのに・・・
リスクを知ることは夢に近づくことなのに・・・・
私は、「笑っていいとも」の視聴者は忙しい人達だったと思う
流しっぱなしで、あの音楽が聞こえてきて
あぁ、もう12時なんだと思いつつも
キリのいいとこまで仕事やっちゃおとか続けて
見たいとこだけ目をあげたり、振り返ってTVを見る
そんなつきあいかただったんじゃないかと思う
そういう人が欲しくなる商品のスポンサーを発掘する
ステマはしてたくせに、
そういう工夫さえしなかったんだろうかサボリめ
って憎まれ口を言いたくなる
全員が見る番組なんて、それこそ幻想だ
視聴率神話を追うことは、その幻想を追って
出来ないことをし続けることに、疲れることだと私は思う
その結果全てが中途半端になって、
ターゲット視聴者までもを、失うことだと私は思う
だって、この番組いいから見るべき
ってハードセル(押し売り)をすることだから・・・
商品のハードセルに辟易してたから、
コマーシャル消して録画しだした人々が
そんな押し売り我慢するわけない
自分たちもされたら嫌だろうに、不思議
今、ソーシャルゲームもそうなってる気がする
全員がしたくなるゲームなんてないのに、
マーケットを独占出来るって数字幻想捨てないゲームが多い
その結果
ユーザーの時間を自分とこのゲームに拘束しようとばかりし・・・
その結果
そのゲームの良さを売りにできてない
その結果
チャネルの時間まで自分とこのゲームに拘束しようとする
結果、チャネルが責任感と焦りからハードセルになる
その結果
ユーザーにどのゲームでも産廃論、最強論をさせてしまっている
ハードセルは私達から主導権を奪う
だからこんなに不快、そのことに気づいて欲しいと思う
最近の私はファミ通さんの「これ知ってる?」って動画を見てるのが心地いい
それも、あの三人がのんびり楽しんでる、あのぐたぐたおすそ分け感が心地いい
あの三人が、自分だけ好きなゲームかなぁってちょっとこわごわドキドキしてるのも心地いい
(あの三人が揃ってない回はハードセルで心地悪い)
ちょと試してみよっかなぁって気になる
そういう時、人はものを買うんじゃないだろうか・・・・
広告会社と株式で儲けてる人
楽して儲けたいのは彼らで、
形を変えては、数字幻想を私達に信じこませる
ただ現実は・・・・
巨大トラフィックは囲い込めば淀んで腐るだけだし、
ハードセルは逆に私達に買う気をなくさせる
視聴率神話は本当は、とっくに壊れてる
視聴率に変わる目に見える判断基準を見つけて
視聴率への不安からそろそろ自由になってもいい頃だと思う
その第一歩は
自分の好きなものは、
必ずしも、その場にいる全員が好きなものじゃない
だから、良いって押し付けられない
って気づくことからはじまるんじゃないだろうか?
それに気づいてる第一人者の番組が消え、
一抹の寂しさの中、こんなことをつらつら思う