2018年2月15日木曜日

6周年に寄せて:パズドラ環境を壊すもの(本編の前置き、これは音声なし)

 こんにちはぁ、
皆さん、お元気?
リクウ持ってない人は、
今は、リクウ杯に夢中かな?
それとも、オリンピック見てる?
私の日常は、相も変わらず仕事一色、

全ての人に、グループに
ポジショニングを見つけてもらう
(彼らにしか出来ないことで輝いてもらう)
そんなお手伝いに追われていますのさ

「自分だけアリのシェア」をしたがる時代、
ダイヴァーシティを残しながらの
(mindsetすら否定することをしないまま)
自分なりのバランスのとり方を見つけてもらう
そのお手伝いは、とってもとっても難しく、

 日々、

私が手伝ってることには、
安全に個々人が、
自分を試し、活かせる環境が
先ず、必要なんだなぁ
と痛感しています

安全な環境って何でしょう?

私の答えは、

自分だけアリのシェアが起きない環境
時が止まらず、変わり続けることが出来る環境

言い換えれば、

可能性が否定されない環境だと思います

「シュレディンガーの猫」という
物理実験のエピソードを皆さんはご存知ですか?

放射物質だとか何とか、
色んな細かい表現をはしょって、
主旨だけをシンプルにすると、

「箱に猫を入れて、
箱に毒を流した場合、
今箱を開ける時、
猫は生きてるのか死んでるのか?」
って質問に何と答えるか?

って命題が投げかけられます

様々な答え方があるでしょうが、

私の答えは、「わからない」です

この命題は後に、
確率論で一応は解決されますが、
確率論にすることさえ、
スナップショットをとる様に
時間を誰かだけが、
便宜上止めることと同行為で
可能性の否定だと言い切れるので、

私の立場は、最初の答えを貫きます

「わからない」=
「生きてる可能性も、
 死んでる可能性もどっちもある」

更に、意味をブレイクダウンすると

「箱という環境の中で、
 毒を受けて死んでしまうことを選ぶのも、
 毒と共存して生き続けることを選ぶのも 、
 猫以外の誰も、
 決めて押し付けることは出来ない
 猫の自由、猫のチョイス」

って立場とも言い変えられます

これで、お分かりででしょう?

私が手伝おうとしてる安全な環境では、
何人も主体性(行動選択をする主体であること)
を奪われることがないんです

だから、何人も可能性は否定されない

 先程の猫は実験上の設定で、
箱を出る可能性は奪われてますが、
私の目指す安全な環境では猫は、
箱さえ壊さなければ、(これ大事)
毒の充満してる箱を捨て出て行けるし、
自由に戻ってこれる
可能性さえ否定されてません

自分だけアリになり過ぎ、
他者の持つ可能性を否定しなければ、
どんな行為を選択することも許されます

この視点で、私が提唱する
安全な環境(箱の中をシュレディンガーに保つ)
必要な条件はこれです

1)モデュレーター以外の、
 何人にも壊せないし、(否定できない)
 他箱との同意の上で交差もさせられないし、
 広げることも一部縮小も出来ないし、
 タグラインを変えることも出来ない 

 モデュレーターに、機会提供として
 参加者に差し出された箱があること

 この場合は「パズドラ!」 で、
 モデュレーターは「ガンホーさん」です

 ここで大事なのは、2つ
 モデュレーターのガンホーさんと、
 参加者のガンホーさんは違う扱いだということ

 こっちはわかりにくいと思うけど、

 モデュレーターに許されるどの行為も
 決めるという行動ではないこと
 決めるという行動にして出した途端
 箱の中の可能性は消え失せます

 (私がガンホーさんを応援するのは、
  決めるという行為で箱の中の可能性を
  否定することだけはしないからです)

 また、

 参加者の、
 ネガキャンや他ゲームとの意味のない比較は、
 箱を否定する(壊す)行為です

2)箱の中の参加者、参加グループの誰もに、
  決める(時を止める)権利がないこと

     モデユレーターや、多数の参加者に
  箱の中の参加者は特別参加者として
  認定されることがあるけど、
  
  特別参加者にも決める権利だけはない

3)箱の中の参加者、参加グループは
  主体として参加してること
  (観測者とかパラサイトや管理者に非ず) 
 
4)参加者は全員対等で
  機会提供と行動選択の権利を持つ

5)箱の中では、機会提供がいっぱいおこり、
  アクティビティが多発し、
  トレンドは次々と生まれ変遷していく      
 
この箱の呼び方は、この場合
人によっては「市場」と呼ぶのが
分かりやすいかもしれないなぁ

「市場」という視点で
モデュレーターしか出来ないことを見ると

成長戦略(出口戦略を含む)、
テストマーケティング、
プロモーションに関する選択は、
モデュレーターにしか出来ない
特別な行動選択権なことが
見えやすいんじゃない?

それでも、モデュレーターにも
箱内の時間の流れを止める権利はないのよ


私が安全だと言える環境は
箱の中の全ての参加者も
箱の外のモデュレーターも
決める権利を持ってない箱なのは
お分かりでしょうか?

今の世の中、多くの人が、
自分だけアリ過ぎのシェアをしたがる人は、
ますます、決めたがる傾向にあります

その結果

他の人の行動選択の可能性を奪います

そういう人は、決める行動の代わりに、
機会提供スキルや行動選択スキル
を磨くことが出来ます

貴方が機会提供がうまくなったり
多くの人に機会だと気づかせられれば、
多くの人が貴方のトレンドにのる行動を
選ぶことが起きるかも知れません

貴方が行動選択がうまくなり、
多くの人を巻き込むことが出来れば
多くの人を集めることが
出来るかも知れません

その可能性もいつもありますよん

これが決める代わりに、
貴方に残される可能性です

だって、皆に色んな可能性が残るのが
安全な環境の醍醐味ですもん

こんな風に日夜
安全な環境を蘇らせる
って事に取り組んでる私は

この視点で、

環境が壊れそうなことにも、
誰かの可能性が不等に
失われることにもとても敏感、

このブログを書き始めた当初から
何度も何度も繰り返し、
気づいてもおうとする試みを
気づかせられないもどかしさの中で
繰り返してきました

当初から、産廃という言葉で
良い悪いを決めようとする風潮に
合う合わないという視点を投げたり、
パズルを楽しみ達成感を楽しむゲームで、
提供されるパズルを真っ向否定し、
それを正解だと押し付ける
極端な周回パの作成にもの申したり


 そんな私をいつも阻んだのは、
RESULT_ORIENTED
(結果を決められるという幻想)
な考え方が当たり前になってる、
世の中の仕組みです

私自身にも、
もしかしたら、決めることが出来る
って幻想に生きてた方が
幸せな人がいるんじゃないか
気づきたくないんじゃないか
気づかせようとすることは、
私の好き嫌いに過ぎないんじゃないか
っていう迷いもありました

今はふっきれています

こんな話を聞いてくださいな

ゼノンのパラドックス
って言葉で知られてる様に
「飛ぶ矢は瞬間止まってる幻想」は
ギリシア哲学の時代から、
自然な事としてなりたってました
人々は便宜上、観念上、
時間を止められてるだけなのを
全く自覚さえしないまま
自分の好きな様に時間は止められる
っていう感覚が当たり前の様に生きて来ました

それが、「決めれる」という錯覚です

ただ、

それは速度が遅かった時代のことで、
インターネットが地球の裏側まで
届けるのが簡単になった時代、
飛ぶ矢は本来通り飛び続けていて
最早、何人にも止める事は出来ません

その速さは本当に早すぎて、
飛ぶ矢は止まってると考えると
RESULTーORIENTEDな視点)
「ビッグデーター期の初期」でしか
方向を変えるチャンスがなくなっています
かと言って私たちは
「風が吹けば桶屋が儲かる」様な予言は
笑い飛ばして気づくことさえ出来ません 


地動説が天動説に変わった時と同じ
私達は「飛ぶ矢は止められない」という
コペルニクス的転換の時代に
生きているのでしょう

そんな時代の中で、

ポジショニングを見つけて行くには、
「決めれないことを我慢するんではなく、
 決めれるという幻想を諦める」
って事からだと思います

それは言い換えれば、

「自分を含め誰にも決めさせないことで、
 可能性を残すための安全な環境を壊させない
(矢が止められない環境を壊させない)」
って行為と同じことです

私はこの 安全な環境を
音声の中で「ふわふわふわふわ」
って表現しています

私の目の前にあるイメージはこの絵です

ふわふわしてるでしょう?

あっ、この図の見方は、

→の左端で止めれない(決めれない)とは
→の先にはこれだけの可能性を残すという意味ね

→の左端という
一瞬を視点に見ると、
こんな風にふわふわんってしてるのよ

じゃあ、決めるって行為は何かというと・・・

こういう図になるよね
これだけでも他の可能性は、
否定されてるんだけど
速度が速すぎると更に
どういうことになっちゃうかというと

こんな風に結果までの距離が
短くなりすぎちゃうのよ
これだと、

別の可能性なんか
持てるわけないわよね?
決めた人に従うしかない

幾らシェアだとか着飾っても
決めると起こるのはこれ

これが閉塞感をつくってるわ

だけど・・・
ふわふわしてる
これならどう? 

ね?距離が短くなっても、
いつまでも可能性残るでしょ? 

後は、可能性があることに
気づいて貰えばいいだけよね?


ほらぁ

シュレディンガーの箱になってるでしょ?

うん?気づかせ方?
それは人それぞれ、
試行錯誤してみそ

さて、まとめましょう


今のパズドラ環境は
ふわふわ環境に戻ろうとしては
決めれると勘違いする
人やグループが現れて
また、閉塞感に引き戻されてる
そんな状態が続いてます

6周年を機に、
みんなでふわふわを取り戻しませんか?

これはそんな呼びかけを形にした企画

パズドラへの感謝をこめて
私達からの贈り物です