2014年11月7日金曜日

ほい、これがYes,and(コミュニケーション)とNo,and(勝たせてもらおうとしてる)の違いの簡易化です

コメントを書いてくれるのは嬉しいんだけど、
そのコメントに私への嫌味が含まれてるのは、私も感じるわけで・・・
(うん、ちゃんと感じてるよ、無視してるわけじゃないよん)

嫌味を言わせちゃってるってことは、
私の書いたものが貴方方に私から否定されてると思わせ、
被害者意識に追い込んでるわけで・・・
そうすると、私がしようとしてることとは逆効果が起きてるわけで・・・
それを私がさせちゃってる、うわああああ消えなきゃあああああ
って昨日はなってたんだけど、逃げてる場合じゃないので、

誤解を生んでるとこ出来るだけクリアにします

(かなり分かりにくい違いだと知ったんだけどね
  あの日、あの文章を読んだうちの優れたオフィサー達が
 二時間もかかって、やっとクリアになったことだから )
 

バンジージャンプの例をとるとこうなります



これで、見えると思いますが
誤解させてる事例を、個別に対応しておきます


その1:パンドラパーティ、ハクハンゾウハクハンゾウ

これは、1)のyes.andの中で、色をかえてで言ってる例で

パンドラパーティのリスク=変換不足をなかったことにすることで、
パンドラパーティの本質をなくした例です
その結果、結果として、ハクハンゾウ、ハクハンゾウに
勝たせてもらうととこまで行ってます

私は、リスクを完全になくすのは、
勝たせてもらってる例として推奨しませんが
(下手するとブラインドトラストに繋がってかえって危険なので)
これを個人的にやるのは個人テリトリー内の自由ですので
他者に被害は及ばないので、私は、どうこういう気はありません

ただ、No,andなので、パブリックテリトリーでは
人に、正しいと推奨(彼の場合は押し付け)は
出来ないし、それをすることは、
人の人生の邪魔をしてることだということだけ
自覚していただきたいだけです

No,andを推奨するのは

勝たせてもらおうとすることに
「リスクとバランスをとって 
勝ち取ろうとしてる人」を
勝ち取らなくても勝てるよと
アカウンタビリティをとらなくてもいいところに
引きずり落とす行為です

その2:テンプレの押し付け

どこでも行けるテンプレというものは、
「ダンジョンが相手」でのコミュニケーション上、
ダンジョンの特徴をなかったものにしてるからNo,andです

(パズドラの場合は、貴方のパーティXダンジョン(Pさん)の間 で
 コミュニケーションはおこってるはずです)

ダンジョンの特徴を無視するには、
全てのテンプレは実はそのリーダーの美味しいとこをとり、
リスクを完全に排除する方向でつくりあげるしかないので、
そのリーダーに対するNo,andにも多くの場合はなってます

自分のテリトリー内で、
テンプレにすることでリスクを全部のけてるのが快感
っていうのはどうぞご自由になさってください

でも、

好き嫌いが良い悪いに変換して通じるのは
ご自分のテリトリー内だけです

No,andの工夫は、結局、「自分だけアリの工夫」なので
パブリックにて人に押し付ける(最強論、必然論、産廃論にする)のはナシです

それはルール違反です。

木孔明にオシリス4体をどう思いますか?
って質問がありましたが

それは、ご自分のテリトリー内での準備なら、幾らでもアリだと思います
っていうか私がアリって許可を与える権利すらないもんです
その試行錯誤から生まれるものも多いんじゃないかと思います
私もご存知の様しょっちゅうしてます、

でも、パブリックで押し付けられないもの
っていうのは、もう一度だけ駄目押しの様に念を押しますが・・・

私はこっちに焦点をあてておきます

実践上、

これが木孔明のパーティのリスクを100%なくすのだとしたら、
(私はまだこのパーティは検討してないので、どっちなのかは言えません )
自分が勝たせてもらってることには自覚をして注意することをお薦めします

(あくまで、お薦めです)

何故なら、もし、そうだった場合
(あくまで推測の域を出ないことを潰してるだけです)
そのパーティを使いつづけることを
貴方に合う勝ちとり方の発見や勘を育てることを
どんどん、遠ざけることになるからです

それは、長い目で見れば、貴方にとって損ではないですか?

どっちか分からない時は、
ダンジョンの特徴に合わせて組み替える
っていう最小限のコミュニケーション単位に戻って
パーティを再考し続けるをお薦めします

(こちらもお薦めです)

私がお薦め、お薦めっていうのは、
リスクを100%なくすこと(no,and)には快感が伴うことも知ってるからです
前回行ったダンジョンが難しすぎて、
やっと見つけた快感におぼれていたい日もあるでしょう?

それは否定してませんよ(念のため)

十分快感を味わって、ふと、
あれ。これって自分を損させてるかも
って気づいても遅くはないと思ってますよ

No,andなんだという自覚さえあれば、
いつだって、yes,andに戻せます

そのタイミングは貴方しか知りません

私はいつもアカウンタビリティ(主体)は貴方に返してます

*こういうと、おそらく
  no,andは自覚しなきゃならないのか、自覚させないでよ
  っていう方が現れるでしょうが、それは自覚しなきゃなりません
  貴方のテリトリーの外では、自分だけアリ(権利があって)で、
  貴方は他人や状況とバランスをとらなくていいじゃないか
  って言ってることですから、

  勉強はしなきゃなんないって知ってるけど、
  今だけこうしてさぼってるリスク考えたくないの
  ってとこまでしか許されなかったでしょ?あれと同じです

  ここで、快感に溺れ、No,andを自覚しない
  ってことを起こすと快楽中枢が壊れ、
  はじまらない、はじまらないって感覚の中で
  快楽を追うだけのことが起こります
  (これが犠牲者意識のはじまりです)

   No,andはコミュニケーションではないのですから
   貴方は非現実に生きてます、そこから出てこれるように
  貴方の左脳にブレーキ(No,andだという自覚)だけ渡してあげてください

その3:No,andの例の「ハトホルにHP2倍UP頂戴は言ってもいいよ」
っていうのが分からないって質問に答えて

今、耐久型多色(ハトホル)というのがPさんから提示されました

これの杭(=不快に感じること)は

「攻撃型多色のホルス、ラーは耐久が出来ないリスクがある」
っていうものになります

 この不快さをなかったものにするには、
「耐久型多色」という存在をなかったことにするために
ホルスラーに「HpUpをつけてもらう」
っていうのが今の新しいゴネですが

これはNo,andで、Pさんにだけ譲らせようとしている行為です

じゃあ、yes,andすればどうなるかというと

「耐久型多色の特徴を更に強くしてもらう」か
「耐久型多色に対抗出来るぐらい、攻撃を強めてもらう」
っていうのが考えられます

(ここで、andはyes,andにさえなってれば、
 身勝手な要求でも良いことに注意してください
 andはあくまで、貴方の得になる行動でいいんです
 貴方はパズドラ全体のバランスなど考える必要がありません
 っていうか考えることは逆に、媚びであり、
 この場合はPさんへのテリトリー侵害になります)

 これをPさんに投げると、
パズドラ全体を考えるフィルターを通して投げられる
Pさんのレスに自分の要求の効果が見えるはずです

これを受け止めるとこまでがandという行動になります

そのレスの中には、
Pさんから貴方への投げかけが入ってるので
貴方はその投げかけに、また、yes,andでバランスをとって返します

 今度は「HP2倍は駄目なのか、じゃあ、HP1,5倍ならのめます?」
っていう様なものかもしれません(あくまで一例)

そのやりとりを通じて、この場合は話題である
「耐久型多色」の双方が納得いく(我慢にならない所)に
落とし所がつくられていくんです

これが交渉です


例えば、

結婚してる夫婦が別れる別れないの
決着をつけるシーンを想像してみてください

シンプルにAは別れたくない、Bは別れたいだとしましょう

No,andの場合は、
Bは一方的に別れたいから別れるんだと我を通すか
Aがこうしてくれたら別れないという条件を出し、
ステイタスを対等じゃなくしてしまいます

yes,andの場合は、例えば(あくまで一例)
AはBが別れたくないのはわかったけど、
別れないでいることは、今の自分は以前の様に
夫であることを一番大事に出来ないんだけど、
それでも別れないのが貴女の得なのか?

っていう風にBの次のamdをAに有利な様に交渉で導こうとします

そういうやりとりを通じて、夫婦という関係性に落とし所がつきます

 どっちも犠牲者にならない、我慢にならない、これが交渉です


4)No,andが勝ち取ってると信じきって当然の権利と言ってる人を
 自尊心がないと私がいうこと

 No,andを続けるのは、
相手がリスクを退けることを譲ってくれてる間や
自分のテリトリー内で工夫でリスクをなくせてる
って間は快感ですが、

続けると、物凄く危険なんですよ、皆さん

所詮、ヒーローを待つほどじゃないから
とっても気づきにくいけど、他力本願ですもん

果ては、絶え間ない犠牲者意識と我慢の不快さに
苛まれ続けることしか待ってません

その結果、自分で勝ちを切り開けなくなってます

その不快さと同居し続けるのは不幸でしかないですよね?

自分を不幸にしてるんだから、
それは結局、自分を大事にしてない
つまり、自分を尊敬する心がない、自尊心がない
ってことでしょ

こうしてたら、駄目なんですか?なしっていうんですか?
って私に聞いて、

私が自分のことじゃないから「アリですよ、いいですよ」
って答えても(そう答えるほうが実は楽)、

貴方の不幸は変わりません

ご自分に聞きましょう

私のお薦めは一時の快感を味わったら
yes,andに戻した方が貴方のためですよですけど・・・

それを拒むのも貴方のチョイスです

no,andの勝ち方を、パブリックテリトリーに出てきて
人に押し付けることさえしなければ、
その結果人からアカウンタビリティを奪おうとしなければ

私は、何も言う権利はないですのでご安心を

5)私がハトホルXハトホルでしか使わない
  って話をした中で、
  ハトホルXハトホルで使いたいご自分の好き嫌いを
  攻撃されたと思った様ですが・・・

私、感情的好き嫌いのレベルの話も、結果論(結果として強い強くない)
って話もしてませんよ

合う合わないの話をしてるだけです

自分の文章から持ってくるけど”ここ”

 Pさんに勝ちを譲ってもらってる感じがこの程度でも強すぎて
勝ち取る感覚がかなり薄れてしまって嫌なのと・・・

楽すぎて、この体が侮っちゃってかえって危険だから・・・

私、”この程度でも”って書いてるでしょ?

これが、一般じゃないって自分で自分のことをよく知ってますよ

その後の闇メタの話、DMKさんの話,お隣の国の話で
一般にも勝たせてもらおうとしてる(no,andの例)ととれる話を例にしたので、
最初の意味も誤解させちゃったんだと思いますが
(これは私の書き方の失敗です、ごめんね)

これらに過剰に反応して、ここまでの行動に出てるほどの私だから、
(ここまでの絶対にこいつのNo,andに加担したくない
 って行動に出るのも私だけでしょ?)
”この程度でも”って感じを実感出来るかなぁって書いてるつもりなの

下手でごめんなさい


この程度でも、私には勝ちを譲ってもらってる様にとれる理由は、

 この体が侮っちゃってかえって危険だからってことです

毎回私が一般じゃないことを書くと、
自分が否定されたととる人いるけど・・・・

どこの世界に、

道路の真ん中目をつぶって歩く方が安全な人います?
崖っぷちで足を一歩空中に浮かしてる方が崖から落ちない人います?

世界広しといえどもほぼ私だけでしょう?

そんな異常な体を持った人が、この程度と思うことに
それを正しいと言ってるから、
こいつは自分のことを否定してるに決まってる
って過剰反応はやめません?


少しでも勝ちを譲ってもらうことは、
この体が侮っちゃってかえって危険と
私の心に感じさせ
私の体をその状況からいち早く出る行動をさせるために
屈服までしてる様なみじめさ(強烈な不快)を
私の心は感じる様になってるだけです

 心が不快を感じれば、行動はより早くなるものでしょう?

右脳しか機能してない人間の
そんな特殊なサバイバルメカニズムに過剰反応しないでほしいわ


少しだけ快感と感じて足踏みしても
そこから抜け出す命令をしてくれる左脳があるから
一般の人は、少々なら、
No,andになってる快感を不快と感じる必要はないんですよ

それにハトホルXハトホルは、この程度と私が言ってる様に
No,andではありませんので、さらにご安心を

私の話って書くたびに、
この過剰反応で、
否定されたと犠牲者になられるの
私がさせてるんだろうけど、
なんか疲れました

そりゃ私だって人間です
貴方方の想像を超えた、
強烈な不快を感じるわけですから
語気は強くなります

 本当に、この人変な人ってとこで流せません?

私はパブリックテリトリーへの
テリトリー侵害してない人
(人のアカウンタビリティをなかったことにしない人)
を非難するほど暇じゃないです


その過剰反応が私という存在へのNo,and
私をなかったことにしようとしてる行動
って事にお気づきでしょうか?



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以上で、no,andとの違い、
お分かりいただけたんではないでしょうか

これで、難しいとこが残るとしたら、これでしょうね

 >(ここで、andはyes,andにさえなってれば、
 身勝手な要求でも良いことに注意してください
 andはあくまで、貴方の得になる行動でいいんです
 貴方はパズドラ全体のバランスなど考える必要がありません
 っていうか考えることは逆に、媚びであり、
 この場合はPさんへのテリトリー侵害になります)

うーーん^^;

point of viewは持ってる権利あるんだよ
って意味で、

だからこそand(足す)っていうニュアンスが入るんですが・・・・


2つの理由で難しいかもしれません

1)相手の反応は決められないことが飲めない(テリトリー侵害)
2)point of view 放棄が 媚びだという感覚が掴めない

相手にかえって失礼なことを してるし、
これもコミュニケーションのルール違反ですが、

少しの不安定でも苦手な方には起きやすく
安定させようというサバイバル衝動と直結していて
その方の心の中では、自分がConsiderate
つまり、人を思いやってる気まんまんなはずなので、


あんまり触りたくないんですよね

どう説明したら、傷を浅く伝えられるか

ちょっと思いつかないので、
思いついたら書きます

あっ、あれです

まおちゃんの「にゃんにゃんにゃん」に
赤シャツさんがウザイという理由と同じです
で・・・これは赤シャツさんが一般感覚で、
彼女のは余計な気の回しです
(推測の域を出ないことを決めつけてる)


まとめます

私がNo,andを紹介するのは、
No,andをし続けてると結局貴方が勝てないよ
っていうお節介よりも、

その差異を分かる様になって
自分がアカウンタビリティをないもの
って扱いをされてる

って気づく助けになればと思うからです


ISISはとある村に
まず、「アサド政権となきものにしてくれる英雄」として
迎え入れられました
でも、その村の人達は、アカウンタビリティまで放棄する
って意味でテリトリー内に入れたんじゃないんです
ISISはアサドを倒すためなら、
アカウンタビリティ放棄してる前提の扱いを村人にし、
それに反抗されると、村を全滅させまし


アカウンタビリティを奪おうとするなら、
まだこの村の人たちは戦えたけど
放棄してる前提の扱いにはどう戦えたのかと考えてしまいます

アサドのリスクを No,andのためにISISをあてにした村人にも
自業自得という問題ありますけど、
また、その村人と一緒に戦うリスクを
No,andするっていうISISがあって・・・・

No,andの果てに壊れていく世界を見せられてる様です

もし、村人が・・・

ISISがNo,andしかしてない
って早く気付けば・・・・招き入れることもなく、

崩壊を回避出来たのかもしれない
そんな風に思います

No,andしかしない人は
どうか自分のテリトリーに招き入れませんように
彼らは結局貴方を道具して自分の快楽を追ってるだけです

そういう人には、
一線をひくことを覚えることをお薦めします

 彼らは余りに堂々と、
no,andを押し付けて来ますので
役に立ちたい願望がある人ほど、
自分が間違ってるのか
ってためらうこともあるでしょう

そんな時、この文章が、
貴方の判断のフィルターになれば幸いです

皆さんが自分のアカウンタビリティを
大事にしてくださることを心から望みます

 おっしまい