太鼓の達人といえば、
私の中に思い出す光景がある
唐突だが
VITAL SIGNSという戯曲がある
キャラの全く違う女性たちのモノローグが
一人の一人の生命徴候として38ほど並んでいる
それをつなぐストーリーはないけど・・・
女性って何?っていうことを観客に感じさせよう
って試みの戯曲だ
1990年に書かれたにしては
2010年を半ば超えた今にも通じるものがある
その中に、「NINTENDO WOMAN」というモノローグがある
一日中、アーケードゲームをやり続けてる女性が
アーケードゲームをやりながらしゃべるモノローグ
全文を写真でどぞ
(2ページに渡ってるので、
色途中で変わってるのごめんね
画像処理が面倒なので許してたもれ
2ページ目は曲がってるのも
仕事じゃないので許してたもれ)
あっ、リズム壊れるから訳さないよ
その役を割り当てられたのは
後に私のアメリカでの親友となる
今は亡きある女性だったんだけど・・・
その女性が突然私に楽屋で言い始めた
「 ねえ、ここがどうしてもつかめないのよ
私、ゲームセンター行ったんだけどね
ゲームに振り回されたって感覚しか起きないの
ねえ、NINTENDOって日本だよね
ゲームしててこんな感覚起きたことある?」
彼女が言ってるのはここ
"Don't go out there,babies. In here, it's a quater of a game.
But out there it's without price.No control! whack! You have no control!"
これ質問を聞いてね
私はシューティングより、
リズムゲームがつかみやすいんじゃないかな
ってハンチが起きたのね
そこから、日本に即連絡して
幾つかのリズムゲームを取り寄せて
彼女を私の家に招待して遊んでもらったの
その中に「太鼓の達人」もあって・・・
彼女が気に入ったのは
っていうかこの感覚を掴んだのは、
「太鼓の達人」だったのよ
私が猫と戯れる背中の向こうで
テンテコ(?)太鼓を鳴らしてた彼女は・・・
突然、
「うん、もう振り回されてないわ私」
って言い出したの
どういうことだろ?何掴んだの?
ってわくわくしながらたずねてみると
最小限に向かいあってればいい
って感覚を掴んだってえっへんしてた
「ゲームセンターのこのブースの外では、
どのリズムに答えたらいいか
ってわからなくなるのね、この人」
って言ってたよ
そうかも知れないわね
ほら、リズムにのれなきゃ
太鼓の達人失敗するじゃない?
でも言い換えれば
リズムにのれさえすれば
失敗はないのよね
だから、振り回されてる
って感覚がおきないわけね
この経験を通じて、
親友になった私達
その彼女の演技は
自分の周りに集まってる
女性たちの方をチラっとも見もせずに
終始流れてるメドレーの
ゲーム音楽にのってました
リズムからリズムに渡り歩く様に・・・・
リズムの中で楽に息をしてました
そして、彼女の悩んでたセリフは
呼びかけられてるbabiesである
ゲームセンターにたむろする子たちを演じてる
私達共演者に、自然に届いてきたの
それは、やっぱり
リズムからリズムに乗り換える
ってことが不器用だと
いっぺんにリズムが押し寄せると
コントロールを失った気がして
我慢ばかりになっちゃいがちな
女性特有のその人らしい
一つの生命徴候なんでしょう
太鼓の達人のダンジョンを
久しぶりにナムコメドレーにのって回しながら、
確かに、シンプルなリズムチェンジだなぁ
ってつぶやいてる私です
世界が複雑に感じたら
太鼓を叩いてみると
スクエア1に戻れるのかもよ
そんな事を知ったあの日を
思い出させてくれる太鼓の達人
戻って来てくださってありがとう
パズドラ制作さんたちにも
あのダンジョンが
お蔵から出されるたびに
コラボのスクエア1は
相手のリズムにのることからだった
って思い出させ続けてほしいなぁ
シンプルなリズムだったからこそ
主観(誰かの好き嫌いを良い悪いに変えたもの)の
ノイズが入り様がなくて
(*例えばホルスに怨みがあるエンドユーザーにだけ
媚びるとかってこと
*例えば、どのパーティでも勝たれたくない
って事にこだわりすぎること )
私達ユーザーが振り回されてる
って感じなかったことを・・・
そこには、
初期のiPhoneの様に
ユーザーが合うようにカスタマイズ出来る
自由が溢れていました
それこそがパズドラが他のゲームと一線を隠したとこ
パズドラ初のマルチを控えた今
今のパズドラ制作にもう一度自覚してほしい
スクエア1の様な気がします
誰かの主観に引きずられることに
人は疲れているんだから・・・