涙がぽろぽろ溢れて止められない
テラドラゴンにコンボに形をかえた
皆の想いがやっと届いたことに
涙がぽろぽろ溢れて止められない
星が光りを取り戻す様を見て
みなと喜びを分かち合いながらも
「俺はとんでもないことを
したのかも知れない」と
「間違ってる」言い切ったことへの
罪悪感が頭をもたげるエースに
それを否定しないランスに
涙がぽろぽろ溢れて止められない
星を背負わされた少年たちに
過酷さとその喜びに
涙がぽろぽろ溢れて止められない
たまぞうと交わされる
涙いっぱいの有難うに
「俺の俺だけのデビ」だという
注意深く選ばれた言葉の強さに
涙がぽろぽろ溢れて止められない
光をいっぱいあびて生まれた
「まぶしいよ」という
言葉の向こうの想いを、
心から伝えたい相手がとりあげられ、
もう、側にいない痛みに
孤独に置き去りにされたエースの痛みに
===========
フェイスブックの去就が危ぶまれ、
(メディアはその衝撃が
視聴率をとることに夢中なのが歯がゆい)
連鎖影響に恐々としながら、
それでも、人類は、
統一IDなどという防ぎようがないほど
危険onlyの無謀な便利さを
手放したがらないで代わりを求める昨今
iPhoneでの簡易生放送可能で
IT環境には”ゴミ”が溜まるのが加速し、
各人が腹を決めて掃除をしないと、
アップロードもパンクし、
IOTの速度を確保出来ない
って時代がそこまで来てると聞く
その実態はきちんと
伝えられることなく
(だから、
人々の選ぶ権利を奪いながら)
便乗値上げに踏み切る通信企業と、
値上げをしなければしないで、
そのお人好しをただ利用し続ける
動画配信プラットフォーム企業
その狭間で、何も知らずに
(自分で調べようともせず)
当然の権利だと、
ゴミを出し続ける利用者
人類は地球を汚しただけでは飽き足らず、
どうやら、身勝手な使用法で、
IT環境まで汚してるらしい
河岸が変わっても
身勝手すぎる時には、
同じ失敗を繰り返すものらしい
ふう
そんな地球は
やっぱり環境が立ち行かなくなり
地球をつくった存在に、
(*テラドラゴン)
失敗作ととっくに廃棄され
既に2度つくりかえられ
3度目の星が今まさに失敗作
かどうかを試されてたのが
パズドラクロスの世界だった
私がずっと毎週見たのは
そのシミュレーションの軌跡
と最終回近くで知る
ショックだった、
今度こそ成功して欲しい
っていう星の意志を具現化して
「与えられた限り在る機会」を、
(*命をの源のドロップ)
当たり前の様に受け流して
活かすどころか、快不快で
叩き壊してしまうことで
(ネガキャンしかしないことで)
自からの機会まで奪ってることに
気づかないまま滅びゆくのを
繰り返してることに
ショックだった
それでも、私も、
悲しみも憎しみもない
苦痛のない世界
(多分POVが一つになり
葛藤のない理想郷)
っていうのがどうしても、
ソリューションだと
思えないことに
常に動いてる世界の中で
環境を大事にしながら、
バランスを取り直し続ける
その喜びに気づいてもらう
その事がどんなに難しいか
肌で感じる毎日なのに
それでも・・それでも・・・
エースとランスは
テラドラゴンにぶつける
>星に生きる命の数だけ
>コンボを決める
>受け取れ!
>俺とエースと
>星に生きるみんなの想い
星を今一度返してくれと叩きつける
テラドラゴンの問いに
痛みも必要なんだと訴えかける
尚も説得するテラドラゴンに
間違ってると言い切る
俺たちはお前のものじゃないと
俺のカラダは俺のココロは俺のものだと
結んだ絆は俺たちのものなんだと
それでも俺たちは生きるんだと
この星で俺たちの絆は断ち切れない!と
その行動が、
テラドラゴンに、
気まぐれかも知れないが、
星を返す選択をさせる
戻った星で二人の道は分かれる
それは多分、
自分に出来ることを
誰かに託された者と、
自分に出来ることが
まだ見つけれられてない者との違い
エースは、
「有難う」を合言葉に
既存の龍喚士の星を守るという役割を
「だな」と相手に YESしながら
アジャストして限り在るドロップとの
バランスを見つけて行くのだろう
彼はラーの想いも
クロスオンしてるのだから・・・
ランスは、
エースのアシストに甘んじず、
それ以外のやり方で、
ドロップとのバランスで
星で自分が何が出来るのかを
どうにかして見つけ
それを貫いて行くのだろう
その時は違うモンスターと同調し、
クロスオンしてるのかも知れない
彼らは気づいてる
星に生きるものたちが
限り在るドロップとの
折り合いの付け方を見つけなければ
また、テラドラゴンは
星の廃棄を選択することを
NEVER GIVE IN!
FIGHT ON! TRY ON !
映画の様にはじまり、
映画の様にタイトル・ロールを流し、
余韻を残し終わったパズドラクロス
本当に、素晴らしいアニメだった
多くの人に、先入観をもたずに
ゆっくり見て欲しいアニメだった
毎週木曜日が楽しみで楽しみで
まだかまだかと寝る前に、
公式チャンネルを見に行き、
寝るために用意したドリンクを
飲みながら大画面で楽しんだ
その終わりが見てとれた時、
終わりと向かい合うのが辛くて
今も
キャラの一人ひとりが愛しくて、
ジェストでさえ愛しくて
彼らとの別れに胸が潰れそう
涙がぽろぽろ溢れて止められない
二人がそれぞれの道を選ぶ中、
その選択が彼の心を動かしたのか
テラドラゴンはもう役割は終わったと、
エースとランスから一度はとりあげた
たまぞうとデビに尋ねる
「お前たち、
この星の未来、見届けるか」と
喜び勇んで星に降り立つ二人、
今頃は星のどこかで、
また、卵になっていることだろう
二人がまた、
エースとランスと
出会えるか(クロス出来るか)は
誰にも分からない
分からないけど、
未来にチャンスは残される
To LEAVE The CHANCE
なんて優しい終わり方なんだろう
なんて優しいメッセージなんだろう
そのメッセージは私を刺激して、
私の見てるアニメの星の上に
描かれてはいないんだけど
こんな軌跡を浮かばせる
The Chance For Everybody
涙がぽろぽろ溢れて止められない
涙がぽろぽろ溢れて止められない
あぁ、生きとし生けるものがいとおしい
PS:
「俺はとんでもないことを
したのかも知れない」
っていうエースの迷いは私の迷い
葛藤(クロス)は時に苦しみを起こす
葛藤(クロス)は時に悲しみを起こす
それでも、
葛藤がないとドラマは起きない
感動も、衝動も起きない
自分にとっての意味にも気づけない
葛藤がなければ、
QUALITY OF LIFEが消える
私は葛藤を礼賛する
私は、どうしても
ネガティブに思っちゃったり、
身勝手なとこから考えちゃう
MIND SETも礼賛する
葛藤やMIND SETを礼賛する以上、
「自分だけアリな行動選択」はなし
全ての人にチャンスを残そう
私の行き着いたスタンスはここだ
奇しくもクロスと同じなのが
なんとなく笑えるね
私は体験してきた
自分だけアリの行動選択が
自分もナシの世界につながる
そのことに気づいて貰えれば
人は自らそれ以外の行動選択で、
自分しか出来ないことで
バランスをとりはじめる
何度も何度も何度も迷う
「自分だけアリの行動選択」を
間違った必勝パターンだよ
って気づかせ様とするのは、
私の身勝手な好き嫌いじゃないかと
あのコトラーでさえ、
ネガキャンは触れないと
諦め、ネガキャンが距離を置く
detour(迂回)を探したじゃないかと
私は徒に人を傷つけてるんじゃないかと
迷いが起こる度、
間違った必勝パターン
って気づかなかった人たちに、
残っていった傷の痛みを
彼らが知らずして結果
自分までもナシにした後悔の痛みを
感じたことをカラダが思い出す
身をひきちぎられそうなあの想い
カラダを走るあの悲鳴
痛い痛い痛い痛い痛いいいいい
その蘇る痛みが、
私のカラダを通り抜け
涙に変わって溢れ出し、
私の迷いを破り捨てる
>何度もでも破り捨てて
>ただ未来描き直す
生きることは葛藤すること、
葛藤は傷つくこと、
残る傷にさせなきゃいい