2019年3月16日土曜日

何故?「人は選びたいものだ」と言い切れるのか?

昨日のを書いたなら、
この一点だけはきちんと明らかにしておけよ
そうじゃないと・・・ な?解るよな?

って うちの「7X6盤面、大コンボ使い君」が言うの

まぁ、この暗黙の了解は、
私にも察すること出来るし

確かに「言い切れないだろ、好き嫌いだろ?」
っていう的はずれな意見(?)ももう来てるので、
 

追加で書いちゃおうかね

*人間だけでなく、生きとし生けるものにあてはまるよ

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 長い話を短くしちゃって
要点だけを言うと

Q:全ての人は行動選びたい
って何故言い切れるのか?


A:選ぶという行動は、
人間が誰でも持っている、
根源的な本能が
欲求や衝動を呼び起こし、
アクション の形を
とったものだからです




じゃあ、説明をしましょう


人間の根源的な本能とは、サバイバル本能

まずは、シンプルに全人類共通に

 死なないようにする本能、生き続ける本能です

 つまり、

生き続けられる可能性を残そうとする本能です


それが個人の価値換算というフィルターを通すと、

死なせたくない対象は自分の命から
他の代替物へ変わって行くことはありますが、

(例えば、企業を死なせないことで、
 後の世に自分も生きようとするなど)

やはり、それもサバイバル本能です


じゃあ、その本能はどんな風に
「選ぶ」という行為に、
昇華するのでしょうか?


私達はいつかは死ぬ
MORTALという存在なので、
全ての人は潜在的に、
この本能を恐怖と共に持っています

この恐怖がセンサーとなって、
アンテナを広げさせ
アラートにその人を開き、
何かを侮れないと感じさせ
サバイバルしたいという欲求や
サバイバルしなきゃという 衝動をおこし、
私達に行動を選ばせるのです

これが

「行動を選ぶ」という行為で、
その際選ばれた行動も
「選ぶ」という行動の
VALIATIONになってます

つまり、
 
(生き残れる)
可能性を残す行動になってます

こうやって見ていくと、

選ぶという行動は
「可能性を残す行動」
って言えるでしょう?

ついでに足すと、

選ぶという行動は
「他者との対等な関係の中で、
 バランスをとりながら
 可能性を残す行動」
って語彙に置き換えておきます


(恐怖と表現してますが、
 私達に備わってる恐怖のセンサー は賢くて、
 明らかにネガティブな危機を察するだけでなく、
 ポジティブなことも察します

 っていうかむしろ、
 ネガティブとポジティブか
 分からないけど、対処しなきゃかもよ
 って察し方をしてます)



 これが答えですが、
下に「決める」は?
というおまけを置いておきます




















 「決める」は人間の根源的なサバイバル本能が
 形を変えたありえないことを望む欲望が
 形をかえた行動で,人間にしかない行動です」



選ぶが「可能性を残す行動ー勝つ可能性をあげる行動」なら


決めるは「可能性を他者や自分から奪うことで、
     可能性をなくす
     排除を基盤とする行動」です


あり得ない欲望は
「時間を自分だけに都合よく止めること
 ー永遠の命を持てない我慢から
  代わりに老化しないことを望む感じ」


何故こんな勘違い行動を人は起こすのか?


答えはこれです


先程恐怖のアンテナを紹介しましたが、


ポジティブかネガティブか
ってわからない揺らぎの中で
わからないを楽しめなくて
自分が対応しきれないから、
不自然にも完全に、
白黒をつけることが勝利と信じ
ネガティブな方(不快、不安)を
100%排除しようとするからです


 自分から奪う場合には、


葛藤が起きることを、
100%なくそうとします
小さな失敗も100%
なかったことにしようとします
負けない勝負をしようとします

(ネガティブな感情を刺激される
 ことを100%なくそうとしてます)


他者から奪う場合には
他者が自分の葛藤になることを
100%なくそうとします

不快や不安を持ってくる
安定させてくれない要因は、
他者だと決めつけ
被害者に甘んじる代わりに、
逆ふれを起こし
加害者に転じ、
他者を敵扱いしたり
自分の恐怖をとりのぞいてくれる
YES_MANとして扱ったり、
シェア出来ないものをシェアしたりと、
自分だけ決めれるという動きをします

つまり、関わる他者の「選ぶ権利」を
奪いとることをしようとします


これが「決める」です


「決める」という行為をした時
その形はなんであれ、
「排除する行動」のヴァリエーションになってます
*排除する行動:決めつける、使う


どちらの結果も


色んな要因で可能性が消えるので、
その人は勝てなくなります



つまり、


「決める」は緩慢な自殺です


「決める」という緩慢な自殺をしてるあなた


あなたも本当は
「選びたい」んだと思いますよ

 揺れをとめたくてやっちゃう

逆フレ癖から手をつけてみてください、

例えば、

被害者をやめるということは
加害者になることじゃないとか
人を悪者扱いしないことは、
人を善人扱いすることではないとか
人を敵扱いしないことは
人を味方扱いすることじゃないとか
人を媚びられるのをやめるのは
人に媚びることじゃないとか

そんな様々な


逆フレの極端さにあなたの体が不自然さを感じる頃、
可能性を残すという行動がつかめていくでしょう


「わからないを楽しむ」という感覚が掴めるでしょう


その時、「恐怖のセンサー」は、
あなたのサバイバル本能が与えてくれた
ちょっとしたことも見逃さない準備ができてる
あなたの味方だと気づくでしょう



可能性を残す行動を掴むことへの
第一歩がはじまりました


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残念ながら、

「決めてる」のに、
「選んでる」つもりなことはよくあります


例えば、オウム真理教という集団



彼らは可能性に制限をかけない場所を
葛藤が起きないことで、人々があるがままで許される場所を
一部の信者に提供してるつもりだったと思います

そして、選ばれた信者たちも、駄目と言われないことで、
自分たちの才能や価値を生みだす能力が認められ
自由に可能性を残して動ける場所だと思ってたと思います

そこにはある意味、
永遠の命に匹敵する喜びがあったでしょう

ただ、葛藤を排除したことで、
あそこで起きてたのは「決める」という行動でした

邪魔を排除する、「決めつける」という暴走でした

それに気づけなかった原因は

「想い」のシェア幻想と「選民思想」だったと私は言い切れます


 「想い」は個々人のものでシェア出来ない

だから、対等

だから、葛藤は消せない


世の中には

でも、オウムでは科学など発達したじゃない?
ああいう環境じゃないと可能性が生まれなかったのでは?

って言う人もいます


私は言い切ります


他者の可能性を奪うものは、
可能性を残す行動ではない