2018年4月30日月曜日

ペルソナ流役の捉え方は個性を開くヒント

 *主にペルソナ4で書いてます

私の部屋には
役作りに迷う度に
ROLE OF ACTIONや
STRATEGY OF ACTIONから
目をあげ、時が過ぎるのも忘れ、
しばらく想いを馳せる
二枚の仮面がかかってる 


役の核って何だろう?

本当にこれでこの核のチョイスで
役にカラダを貸せるのだろうか?
役はこれで活かされるんだろうか?
役はこれで自由に動けるんだろうか?

そう怯え、逡巡するたびに、
リタラルな姿の2枚の仮面の
裏に浮かぶサブテクストの間の
逢魔が時、二枚の仮面の間を、
感じとろうとして
皮膚の目で見つめ続ける

私が見つけなきゃと
あくせくするもの

それは、ペルソナのイゴールの
「夢と現実、精神と物質の間 」
に起こされるのを待ちながら、
眠ってるものと同じなのかもしれない
==========

私達アクターは役の仮面を
気づかれない様に被ることに
魅せられた生き物らしい

唐突ですが、

今、現在のアクティングで、
主な役作りの仕方は三種あります

(私のやり方はこれ以外だけど、
 我流なので割愛、
 紹介するのはかえって邪魔)

1)与えられた役として、
  状況に応じながらの
  相手役を扱う言葉の出し方、
  カラダの動き、雰囲気、表情の
  JUSTIFICATIONを見つけ
  細かくつないで出すことで、
  役に自分を近づけていく
  =POVを際立たせ
   個性をもたせること重視
  POV=Point of View

2)この役を何故人は
  こう扱うこう見なす
  っていうのをつきつめ
  その秘訣を実践し、相手役に
  役として、自分を扱わせる
  =役として見えることを重視
   (人の変身願望の具現化)

3)自分ならこういう時
  こういう理由でこうなる
  っていうのをつきつめ、
  自分に役の感情を引き寄せ、
  この人はこういう人かもと、
  観客に受け入れさせる
  =役が自然な感情(論理)
   の連続存在になることを重視  

1)2)が所謂、役になり切る
っていうやり方で、
役の仮面をかぶってます
繰り返すうちに、不思議な事に
アクターのエゴを抑えられたら
役の仮面は自分の顔と同化し、
体つきや顔まで変わります

じゃあ3)は?

 1)2)がステレオタイプ化して
 不連続の嘘人間にしか見えないなら
 自分でのった方が自然なだけまし
 っていう視点で、いつの時代も
 あんなの役作りではない
 と苦々しく言われながらも
 許されたやり方として残ってます

 さて、知識は十分でしょう?

ここに戻りましょう

私達アクターは役の仮面を
気づかれない様に被ることに
魅せられた生き物らしい

でも、この
仮面をかぶってることを、
気付かれない様に
って言うのがものすごく難しくて、
種明かしが見えちゃうと、
(演じてるって見えちゃうと)
それは大失敗、台無し
役が嘘に見えちゃうだけで
見る人にはもう何もかも
嘘にしか見えない致命傷

だから、

実際のアクティング養成所では、
基礎をマスターするまでは、
役作りはさせて貰えないもんだ

安易に出来ないマスター領域
ますます、アクターの卵たちは、
役作りに憧れていく

結構へこむ基礎時代、
役作りを学びたいだけで
へとへとになりながら
カリキュラムをこなしていく

でも、いざ、役作りを
していい段になると、
ラッシュを見る度に、

今度はだんだん怖くなっていく

一体何故、自分が演じると、
人間には見えないんだろう、
人間に感じられないんだろう

先にあげた1)2)を試してるのに
自分っていう楽器は準備万端なのに

どこが一体、抜けてるから
不連続な二次元の生き物に
なっちゃうんだろう?

怖いけど逃げてはられないと、
古今東西の文献をあさる
先人の残した言葉を探す

AUDITIONという本には
その答えがこう書いてある
「逆を見つけて、
 演じてないから」だと

ACTINGの本にも大抵書いてある
「アクターの自分が
 役だと信じてないから」だと

一理あるんだけど、
何か字面演技から
離れない気がする
何か精神論で
実践出来ない気がする

アクター達は経験してる

たまに、

無意識に眠ってるものが
飛び出してくることがあって、
その時は何か上手く行く

でも、何が起きたか分からない
再現出来ない、もやもやする

まるで、今を生きてる私達が
自分は何なのか
どう生きるのが一番ベストか
と迷い続ける様に、
アクター達は人間とは何か、
再現可能なものなのか
って悪戦苦闘し続けてる

ゲームペルソナ4は
このもやもやに
一つの答えをくれた

ゲームの中のパラレル世界(夢)で、

現実では無意識に眠ってる
隠して置きたい心のつぶやきは
分身の形をとって、
キャラ達に、立ちふさがる

その心のつぶやきは、
その人のコンプレックスで、
 キャラ達は「それも自分とは
認めたくない、認めるもんか」
って頑張ってしまう

でも、頑なに認めないことが
いや、否定までしてしまうことが
その分身を暴走させ、
シャドウという敵に変えて、
自分を襲わせてしまう

逆に、そのコンプレックスに
向かい合ってそれも自分だと認め
困難に立ち向かう鎧に変えた時
ペルソナという力になって
その人を助けてくれる

これがゲームペルソナでの
ペルソナという概念の仕組み

ペルソナ4では
ペルソナを得ると、
極彩色のオープニング の
キャラ達の後ろに
守るようにかぶさる様に
一人また一人と、
ペルソナたちが現れる

初期場面はこうだけど、




自分のコンプレックスに
向かい合えた報酬よろしく、
初期場面はこうなっていく



にぎやかで、
危険なはずの
警察のテープを模した
黄色と黒が安心出来て
彼らがどこか誇らしげに
感じないだろうか?

(この演出は絶品だね
  誰がどういうコンプレックスを
 克服したかは幾らなんでも、
 ネタバレになるからやめておくわ)

それを見ながら思う
そっか、無意識は力だったんだと

多重人格を演じた時に
ふと浮かんだ疑問を思い出す
「人格は統合されて、
どこに行くのだろうか」と
ものすごく怖くなった
その頃には、頭の中で
人格がつぶやきあってて
一人ひとりが愛しくなってたから
なんか人間を消すおこがましい
怖さでいっぱいになった
その時は、ある人格は
統合を拒んで統合されなかったら、
答えを出さずに怖いまま演じたけど、
答えは、「力に昇華して残る」
って事だったのかもなぁ
それなら、愛すべき人格たちと、
いつも一緒だから怖くないね

また、演技訓練時に、
ふと浮かんだ疑問が蘇る

1)のやり方の権威
マイケル・チェーホフに
直接学んだコーチから、
「まずは、ステレオタイプをつくれ
そこから個性を足していけばいい」
って教えて貰った時のこと
「個性って何をさしてる?
 ステレオタイプに何を足すの?」
って感じたのを覚えてる
この答えが出てないことと、
コントロールを要求されることから、
その後、悩んだけど、
私には、1)のやり方は合わない
っていう選択をしてる

ペルソナでは、
「力を、困難に立ち向かう鎧」
って呼ぶことで、
この答えもくれてる様な気がする

もしかしたら、

「力と感じる」か「鎧と感じるか」で
個性が生まれるんじゃないだろうか?

二枚の仮面に
もう一度目が行く



ふと、今度は、
パズドラにつながる

パズドラにおいての力
って瞬間攻撃力じゃない?

それを具現化したこの式も
瞬間攻撃力だから力なんだけど

 基本攻撃力
×(1+余り×0.25)
×{1+(コンボ数-1)×0.25}
×LFスキル倍率 

同時に鎧って捉え方をすると、
個性に広がりやすくなるのでは?

って・・・

うわっ、試してみたくなるね

 また、

ゲームペルソナにおいての
ペルソナは現実と夢の間で
管理されててる様に、
(時には看守までいる)
現実と夢をつなぐものでも
あると感じるのね

ってことは、この式も

  基本攻撃力
×(1+余り×0.25)
×{1+(コンボ数-1)×0.25}
×LFスキル倍率 

私達の普段の日常と
パズドラっていう世界とを
つなぐものなのかも知れないね

この式を使いこなせると、
パズドラの世界の深淵に気づき
もっと、もっと楽しくなります
って、素敵♪

ペルソナさん、
パズドラとコラボを
してくださって有難う

素敵な音楽と極彩色の彩りで
パズドラに大きく世界を
広げてくれただけでなく、

今のパズドラに必要な
個性を誇りに思う
ってことをパズドラーは
思い出すきっかけになるかもね

そして私にとっては、
(・・・これはちょっと秘密ぅ)

 ペルソナというゲームは、
私は、どうして人間なのか
私って個性はどこから来るのか
っていうのを

体験させてくれる
オリジナルのゲーム

とは言っても、
 小難しい哲学を
押し付けてくるんじゃなく、
実践出来るシステムに
昇華してくれてるから
誰でも簡単にはじめられる

私達アクターは役の仮面を
気づかれない様に被ることに
魅せられた生き物らしい

いや、

人は自分の仮面を
気づかれない様に被ることに
魅せられた生き物らしい
一方、あるがままの自分も
認めて欲しい承認欲求との間で
葛藤し続ける生き物らしい

人は皆、

ペルソナを御してるから、
個性があってかけがえがない

そして、パズドラは、

ペルソナを御す、とある方法を
簡単にお試しが出来るゲームらしい

双方のゲームは
二枚の仮面の間に
存在するのかも知れない