2016年3月1日火曜日

自分が「役立たず」と言われないために、人の気持ちを踏みにじるのやめなよ>赤シャツさん

やっと、一年にいっぺんの
私の本業の忙しい時期が去り、

記事の続きを書かなきゃと
まとめサイトを覗きがてらほけっと徘徊してると

どこのまとめサイトも
「まおさん退社」の記事をあげてます

それを読んで、こわごわ件の動画を見に行って・・・・

思わず、またか・・・・って呟いちゃったわ


「皆さんのお役に立とうとしたけど
 こういう事情だからやることやりつくしても
 役に立てなかったのを
 仕方なかったと言って欲しい」
って主旨の言い訳動画を

(SHIFT THE BLAME タイプの言い訳)

一体、何本あげたら、赤シャツさんは

その種の動画がかえって「役立たず」のレッテルを
自分で自分に貼りつけてる行為になってる
って気づくのでしょうか?

そのパッシブなアクションの陰で、

(*パッシブの意味は
  人が何かをしてくれるのを待つ傾向の
  他力本願なアクションで、
  アクティブ、自分が主体として動く事で
  事態を好転させようとするアクションとの対比です)
  

 人の気持ちやブランドを踏みにじる
って結果が起きてることを考えると、

(退社する、もしくは退社した人達の気持ち
 株主、彼に一度でもあやかりたいと思った人達の気持ち
 そして、チャネル、広告会社として
 取引してるガンホーさんなど、相手企業のブランド)

私もそろそろ目をつぶってちゃいけないな
 って感じたので、急ぎこれを書いてます

そもそも

赤シャツさんが

「役にとってもたってる」と
人から評価されたがることを捨てれない上に、
システムの中で役に立つことを嫌がる傾向が

この惨事を招いています

(どうぞ、中学三年生の文集の文章を
 証拠として参考にしてください)


彼は、

自分のファンクションの準備を十分にした上
自分のファンクションの限界をしって補うか、
得意なファンクションを増幅させれる様に
モノを生かせる準備までしておいて・・・

フレキシビリティだねって言われてるタイプです

(アンチグレアフィルムや
 スマホケースはそういう中から生まれてますよね)

例えば・・・・

この間もBBQにバーベキューを
食べに行ったんだけど、
そこのウェイトレスさんの一人が、
大きなポケットのついたものを
腰回りに巻いていたのね

そのお店の売りは、
フルーツたっぷりの
フローズンドリンクなんだけど
お友達と行ったりして、
色んな味頼んだら(パイナップルとマンゴーと、ピーチと)
みんなでちょっとずつ
飲みたくなったりするじゃない?
そんな 時、そのウェイトレスさんは
奥にとりにも行かずにすぐに
新しいストローをくれるの、
もう少しバター、もう少しソース
もう少しナプキン、もう少し・・・
っていうのに答えてくれるのよ

これって、とってもフレキシブルでしょ?

右脳満開の私の様なのが
通りがかりに、「あっ、すとろー欲しがりそう」
って違和感を感じとりその都度素早く
何かのついでに用意出来るフレキシビリティと

受け取る側には全く違いがわからないわよね?

ただし、赤シャツさんタイプの方の
このフレキシビリティは1システムの中で
自分がどう機能してるから
システムに貢献出来てる
って考え方を飲まないと

そもそも、

何のファンクション磨けばいいか
って分からなくなるから、
それを飲んでないなら、絶対に
起こりえないフレキシビリティなの

それなのに、赤シャツさんは、
何故か、システムに貢献するのを
こんな子供の頃から嫌がって
「その時の気分で・・・」
っていうことをしたがる傾向にあるわけ

そのタイプじゃないのに、
体の機能の問題だから
憧れだけでどうにでも出来る
ってもんじゃないのに

自分を使いこなす代わりに、
出来ない方のフレキシビリティに憧れてるわけ

例の2月20日の降臨十本勝負
っていう伝説のシーンと、
はじめてのケースを販売するまでは
システムに貢献することで
最大限に自分を活かす
ってことをしてたのに

またぞろ、この勘違い病出ちゃったのよね

(コスケさんの言いなりになってるとか言われて
 その不快さにムキになったんだろうけど)

つまり、ないものねだりの暴走


それなのに、このタイプの特徴である
「役に立ってる」という望みは捨てられない

 このタイプは成長の過程で
人に役に立ってると言われることを待ってたら
キリがないことに気づいて、
人に自信をつくってもらうことをやめてるはずなんだけど、

ないものねだりを許してるから
一番大事なシフト(成長)が出来てない


結果・・・・・ファンクションを磨いたり
道具の組み合わせなどの準備を怠る様になり

どこにしわ寄せが来てるか・・・・

降臨勝負がだらだらのびる?

うん、それもだけどね

自分が「役立たず」と言われないための
手っ取り早い方法として・・・・

準備出来てないモノ(道具)の代わりを
人間に求めちゃってるしわ寄せ起きてるよね



業務の範疇じゃないことを
いつの間にか、断れなくて
やらされてる人があの会社増えすぎ


それを、ご本人は、

「アップバンクの特殊性」なんておっしゃってるけど・・・・

あの企業のビジネスモデルなんて
特殊でもなんでもないわよ

物販にお客さんを動員する方法として
イベントと動画とブログを持ってるだけじゃない

 特殊でもなんでもないのに

特殊っていう隠れ蓑で
ないものねだりをしてる事に
何をさせられてるかも分からなくて
社員が付き合わされてるだけ

そして、

ないものねだりのフレキシビリティを求めて、
準備を以前の様にはしてない人を
降臨十本勝負のレベルに
付け焼き刃で見せるツールに
されてるわけだから・・・・

そして、更に
役に立ってるよと言うはずの
賞賛者扱いなわけだから

そのストレスは半端じゃないわ

 自分の業務にも支障は出るわ

支障が出たら・・・・

自分がさんざん道具扱いしてるの棚にあげて

今度は彼らが役立たずのレッテル貼られてるわ

それを、公園(公共のSNSツール上)で
堂々と言われて気持ちを踏みにじられるわ


それもこれも


ないものねだりのフレキシビリティを欲しがることから
一歩も成長しない赤シャツさんのせい

うん、彼はあれ乗り越えないかぎり、
結局・・・・・・・・・・・・・・役立たずよ(きっぱり)


私、ああいう、自分を蔑ろにすることで
人の気持を踏みにじる行為を続ける人、
ものすごくナシだと最近言い切るわ



降臨十本勝負何がすごかったか
全然ブレイクダウン出来てないのが信じられない

あれはね


まず、とうふさんが危機の一線を計算で出してくれるの

それを踏まえて、

コスケさんが具体的なアクションにブレイクダウンして
これか、これか、これで、どうってサジェスチョンしてくれる

これが観客をあの場に参加させるのね

観客は自分ならどうするだろ?
本当にコスケさんの提案で切り抜けられるのか
って考え始めるの

それを、赤シャツさんが職人よろしく
準備をし尽くした人の持つフレキシビリティで
持ち前のファンクションでカタチにして見せる

 これを繰り返すことでビルトアップされて
あの感動 の瞬間が生まれたの


とうふさんも、コスケさんも
彼らの良さを活かせてたからこそ
そこにのった職人が活きたの


職人ってすごいのにね
どうして自分も出来ることを大事にしないのか
って歯がゆくなるわ


 私はどんな人にもパッシブアクションを捨てて
自分(自分のプライム)を活かして自分が出来ることをして
自分の人生を活かして行ける様になって

って望んでるから・・・

 本当は赤シャツさんに
さっさとないものねだりをやめ
自分を活かすための努力にシフトしなよ
って言いたいけど


多分、彼はこれからも
三つ子の魂百までで
右脳系のフレキシビリティこそ
役にたつために 必要だと勘違いして
「その時の気分で・・・」って言いつづけると思うわ
「自分に嘘をつきたくない」って言いながら
自分という楽器を否定し続けると思うわ


私達右脳が、
そのフレキシビリティを磨くために
やっぱり、ないものねだりを捨てたことを
それが大変だったことを気づきもせずにね

(私たちは持ち前の感受器を活かすために、
安定することを捨ててるの)


人は自分が当たり前に出来ることより、
自分が出来ないことを凄いと思いがちだから


だから・・・・・


この記事を読む人は


彼のないものねだりに自分を巻き込ませ
自分の心を踏みにじらせないように
自分に何が出来るか考えて実践して
自分の心を大事にしてねって願うわ


 踏みにじらせてる
って”させてる”視点を持つことをおすすめます


私は、まおさんのも、コスケさんのも

にこ生で違和感が起きたことがありました

それは彼らのターニングポイントで
今、「自分の時間が大事」とか
「自分の可能性を試してみたい」とか
って彼らがあの企業を去る時に残した
想いの生まれた瞬間なんだろうと思います

そして、にこ生は
彼らのあの頃の日常のほんの一角で
あのターニング地点で彼らは
私が違和感を受けた表情を
頻繁にしてたのかもしれないとは思いますけど、

彼らは、「された」視点でしか状況を見ず、
いわば被害者意識になってたから
あの企業の赤シャツさんじゃない他の人達にも
通じなかったのかも知れないとも思います


「された」という視点のパッシブな言動は、
他人に貴方を否定させる結果に終わるもんです


世界の人々よ

「自分がさせた」という姿勢が
主体を奪わせない鍵だと気づいてお願い


私は映画フィラデルフィアをキャスティングした
キャスティングディレクターから
こんな話を聞いたことがあります

デンゼル・ワシントンの役は
もともと黒人ではなかったんだと

ブレイクダウンサービスは
当然黒人のオーディション募集はかけなかったわけで

でも、彼はオーディションのチャンスだけくれ
って食い下がったんですって

そして、彼にその役は決まったんです
って

そのキャスティングオフィスの
待合室の壁には誇らしげに
デンゼル・ワシントンと
トム・ハンクスが対等に並んだ
ポスターが飾ってありました
 

黒人の役を書けと声高に
叫びつづけた昨日のアカデミー賞

あれは「されてるという意識」の生み出す
パッシブアクションです

 私はクリス・ロックのしつこい叫びに
半ば嫌気がさしながら・・・・

デンゼル・ワシントンの話を思い出していました


幾多数多のブレイクダウンイメージとは違うから
って門前払いをされそうだったのにキャストされた

アクターたちの話を思い出してました

「自分がさせてる」

そう思うことは相手に一切否がないと
耐え難き感情を認めることではありません

自分で世界を切り開けるチャンスを
自分で、自分に、残すことです

 そんな風にツイストした結論で終わり