2015年2月22日日曜日

3周年おめでとうと・・・メッセージの言葉に足りないと感じたもの

パズドラ三周年、心からおめでとう
そして、Pさんはじめ製作サイドの方々、
運営会社さん、チャネルさんたち
本当に、ありがとう


っていう挨拶で襟をただして・・・・

嵐のCMが意味不明
っていう噂が本当かなぁ
っていうのでたどり着いて、

 Be More Original 読みました(以下「 」内は引用です)

「正解はない。終わりはない。
 プレッシャーだって小さくない。
 でも、やる。
 ゲームが好きだから。
 おもしろいことが好きだから。
 大人の理屈でいいゲームなんて出来るわけない。
 自分たちが本当におもしろいと思うものを。
  ただ信じて、疑って、疑って、信じるだけだ。
  能書きなんかいらない。
 俺達は評論家じゃない。
 手を動かすんだ。何かを生み出すんだ。
 パズドラは、三周年を迎えた。
 でも、ゲームはこれからだ。
 もっと、もっと、オリジナルなおもしろさへ。
 葛藤は続く。」

率直な感想は、
アクションがパッシブ(being)で、
演じられないなぁです

表現(コミュニケーション)ではなく、
自己表現(自慰)に落ちていく、
危険性をはらんだ宣言(ビジョン)になってると思います

そして、これこそ能書きです

少し、うちの話をしましょう
私がC.O.Oになった時期です

うちの会社は、
アートフォームをつかって
市場を開くお手伝いをする
っていうのが、初期のプロジェクトでした

アートフォームには、

映像、画像、アニメ、ウェブサイトなどが含まれるので
当然社内にアーチストを抱える会社です

このアーチストとビジネス(営業)サイドが
大げんかを繰り返すのが初期の私達だったの

ビジネスは売れるものをつくれ
アーチストは自分がいいと思うものをつくれば、
選ばれて売れる

ビジネスもこれなら売れるだろう
って主観でアート勘を壊し
一部だけ(映像だけだったり、画像だけだったり)
を売ろうとする言動を繰り返し、
アーチストは我慢したくないと、
主観に走って表現ではなく、
ますます自己表現の方向に行ってしまう

主観、主観、主観・・・・

もちろん、崩壊です

これを救ったのは、ひとつは
グーグルを分析することで見つけた
主観が一切はいらない言葉を選んだ
(グーグルのは、「情報を整理する」です)
すべての部署がのれる
オーバーオールアクション(Doing)でした

「○○○○○の権利を返す」っていうのがそれでした
(今は・・・・の権利を返し合うに、進化してます)

そのフィルターを通して、
私達はアートフォームをつくり、
そのフィルターを通して、
市場を開くお手伝いをすることで

 主観での捻じ曲げ、引き寄せから逃れ、

今に至ります

 「・・・の権利を返し合えないアート」は、
よそではアートでもうちにとっては必要ないアートなんです

 そういうアートを生み出すことに、
うちのアーチスト達は挑戦し続けてます

 そのあくなき挑戦の中で、勘も育ってきます




パズドラを進化させる
って考えつくたびに、

ここまで、過剰防衛の人たちに
ネガティブキャンペーンをおこされると
媚びてばかりいないといけなくて
我慢ばかりしちゃってる気がして
面白いと楽しませる勘が狂っちゃう気がして、
自由にさせてっ!!と逃げたくもなるでしょう

自由にさせてくれないから、
面白いものつくれなくなってる
って犠牲者意識も育つでしょう


 私もアーチストですし、右脳人間だから、
表現の勘が壊れるのが一番こわい

だから、逃げたくなる気持ちは経験してます



でも、そんな時、

どこまで行っても
No,andしかしない人たちに
一線ひいて、つながりを切るのは必要だけど

身勝手な主観を自由と勘違いしたら、
パズドラがそれこそ修復不可能な様に、壊れます

表現の自由はいつも、
バランスをとるから許される
束縛された中での自由なんです

それを忘れたら、

自己表現、つまり自慰にすぎない

製作への参加者一人一人が
てんでバラバラの方に
主観でパズドラをひっぱれば
霧散するしかなくなります

論理や理屈の能書きではないけど、
主観は所詮身勝手な能書きです



そんな○液の匂いでもしそうな、
汚らしいものを押し付けて
ドヤ顔してくるゲームには
本当に、なってほしくない


「パズル&ドラゴンズ」
ってゲームを通じて、
貴方方は私達ユーザーに
何をさせようというのでしょう
っていうのを一行で言えますか?

(私は「パズルでドラゴンを制させる」だと思いますけど)

その一行から、

ゲームはこれからも
ずっと進化して行けると思います

人間のイマジネーションは付きません

パズルっていう概念ひとつとっても・・・・

広げ続けることが出来ます

「情報を整理する」がここまで広がって、
あんなに多くの形を生み出してるのを見れば自明でしょう?


そこに立ち戻ってくれないかなぁ
って心から望みます


「親友システム」は今のままでは
この自慰の中で生まれたものだと感じます

 私自身は、自慰と判断したので、
触れると汚れそうなので、
 ないものとして対応する予定ですが・・・・

そんな自慰からも、得したいと、
翻弄されるユーザーはパズドラを壊すでしょう

 Beingは主観の自慰にすぎない
Doingからしか何も生み出せない

そのことに早く気づいて欲しい

私自身は、私の仕事は
主観に拘泥しやすい人に
我慢と思わせる遺恨を残さず
Doingに導くことだと思ってます

それは、簡単なようで一番むずかしい

主観に拘泥するのは
自分が大事で存在を許されたい
ってことが動機ですから
そうすることで自分をかえって大事にしてないよ、
自分が大事なら、自分をDoingに昇華して使おうよ
それが自分を大事にすることですよ
って気づいてもらうのは至難の業です

昨今

アナ雪のlet it goが勘違いされ
「好きなことをして生きていく」が
勘違いされる主観の自慰が許されると
飛びつかれる時代なので

こういう勘違いは起きやすい時代だと思います

うちの「・・・・を返す」も、
一方的に返してもらえると勘違いさせる様で
いいねぇと連発されるのに危機感を覚えて、
「返し合う」に変えたほどですから・・・

 だから、気づくの難しいだろうから、
敢えて文章にしておきます



ってことで、


4周年を迎えることが出来ることを祈って、幕